デカルチャー!歌に驚く巨人のゼントラーディを文化水準が劣るという設定に1年半

デカルチャー!

ゼントラーディ人の驚きのセリフ「デカルチャー」や「ヤックデカルチャー」は、初代マクロスから始まって、フロンティアでも、ランカが「星間飛行」で鮮烈なデビューを飾るシーンでも、ゼントラーディ人が使います。

カルチャーは、もちろん文化なのですが、どうして歌に驚くという設定ができたのでしょう。

監督の河森正治氏がインタビューでこう答えています。<29ページ、『語れ!マクロス』(KKベストセラーズ、2013年)>

敵のゼントラーディが巨人になったのは、バルキリーが人型になることの必然性を与えるためです。松崎(健一氏。シリーズ構成)さんから「だったら巨人でいいじゃん」と言われて。ただ巨人にするだけだと圧倒的に相手が強くなる。そうしないためにどうしようと考えたとき、「敵が馬鹿」っていうのはあんまり例がない(笑)。ただ凶暴じゃなく、文化水準が劣っている敵を出せたら面白いなと思ったんです。なんとか武器で決着を付けないようにしよう、そういえば敵は文化を持たないから歌でインパクトが与えられると。そこに辿り着くまでに1年半はかかりましたね。
ゼントラーディが歌を聴いて「デカルチャー」!」と驚くのは、元々カルチャーショックものは好きだったので、やりたかったことではありますね。ただ、文化の程度が少し違うのではなく、明らかに違わないとアニメでは描きにくい。あの当時だと、あのぐらい分かりやすい方がいいかなと思いましたね。

歌を聴くとショックのあまり、戦意喪失になるというマクロス世界の重要な設定


フロンティアでは、ゼントラーディだけでなく、「脳」のないバジュラにも効くようになる


やっぱり、歌は文化だねー


ただ、ちょっと上から目線ではあるよね。そこで、河森監督はのちのマクロスシリーズで、この文化観を”修正”しているわ


初代マクロスでは、文化の失われた種族に歌で啓蒙する図式になっている。文化の伝播をきっかけにした相互理解という視点からは秀逸だが、ハリウッド式の文化侵略とも見えなくもない。この「文化」へのおおらかな信頼は、やがて現代文明への疑義へと舵を切っていく。
80年代に自分たちの好きな「文化」であるサブカルチャーやSFを初代マクロスで表現しきることで得た高い評価とは裏腹に、現代社会の硬直した「文明」への懐疑が河森監督の中で大きくなっていったのではないだろうか。
これらの河森作品のなかでも圧巻なのが『マクロスF』だ。
クライマックスで、異形の生物バジュラこそ実はプロトカルチャーが神格化していた生物であり、真の敵はバジュラのネットワークを乗っ取ろうと画策する人間たちであることが明かされる。昆虫のような生き物が実は味方であると分かったときのショックは覚えている方も多いだろう。

久保内信行「マクロス文化人類学 「河森監督作品」を通して見られる思想のエッセンスを探る」(34ページ『語れマクロス』)

バジュラはわたしも家で飼っているけど、フロンティア放送時には意外な展開だったのね


えっ?恵美ちゃん、バジュラ飼っているの?デカルチャー!


ゼントラーディとのクオーターのランカ

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